地球にはなぜいろいろな生き物がいるのか。ダーウィンはそんな素朴な疑問を観察から抱き、発見が予想される生き物の形や人類の起源まで予言するようになった。後に予言通りの結果が得られ、ダーウィンの洞察は私たちを驚かせた。姿や形の変化が子孫に伝わる仕組みを解こうと、今も活発な研究が続く。
同じヒトでも肌や目の色が違う。さらに種が異なれば見かけは全く違う。だが、動植物のゲノム(全遺伝情報)が解読され、ヒトと他の生物は予想以上に似ていることが分かってきた。例えば、海底にすむナメクジウオ(体長3~5センチ)の遺伝子の約6割がヒトに残る。ホヤでは約4割。ともに脊椎動物に最も近い生き物だ。これらのゲノムを解読した佐藤矩行・京都大教授は「生物はほとんど同じ遺伝子を使いまわしている」と話す。
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じゃれあうガラパゴスアシカの子ども=ガラパゴス諸島サンクリストバル島で、平田明浩撮影
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固有植物・スカレシアの苗木を植える活動=ガラパゴス諸島サンタクルス島で、平田明浩撮影
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生物は命を引き継ぐため、繁殖活動を行う。進化の過程での営みだ。ダーウィンが興味を持ったテーマに、環境に適応したものが残る「自然選択」と、異性をめぐる競争に勝とうと見た目を変える「性選択」がある。
ダーウィンはクジャクの雄を見て悩んだ。「尾羽が長いと動きにくく、生存競争には不利になるはず」。そこで派手な雄を選ぶという雌のえり好みが雄の姿の進化をもたらしたと考えた。
最近の科学は、見た目以外にフェロモンなど五感では感じられない化学的な刺激や鳴き声などが相手を誘うことを示した。総合研究大学院大学の長谷川真理子教授は「生物は多くの外敵から身を守るために、さまざまな免疫を持つ必要がある。マウスの雌は免疫の多様性を得るため、においを頼りに近親の雄を避けているようだ」と話す。
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◆生物の多様性守る活動
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ダーウィンが関心を持った生物の多様性は今、地球温暖化と並んで最大の地球環境問題となっている。地球には科学的に明らかにされているだけで175万種の生物が暮らす。すべての生き物は約40億年の進化の過程で、環境に適応し多様に分化した。だが、野生生物の生息地は急激に失われている。国際自然保護連合は08年、世界の霊長類634種のうち半数の303種が絶滅の危機に瀕していると発表した。
2010年10月には多様性を守り、生物資源の持続可能な利用を進めることを掲げた国連「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が名古屋市で開かれる。02年の第6回会議で採択された「生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」との目標年に当たるだけに、議長国・日本の手腕が問われそうだ。
環境省は養老孟司・東京大名誉教授らでつくる「地球いきもの応援団」を発足させ、生物多様性の重要性を訴える運動を始めた。「地球のいのち、つないでいこう」と標語も掲げ、意識高揚を図っている。
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◆ダーウィンから学ぶこと ―荒俣宏さんに聞く
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現代に生きる私たちはダーウィンから何を学ぶべきか。故郷の英国やガラパゴス諸島を訪ね、「ビーグル号航海記」を子ども向けに翻訳した博物学研究家の荒俣宏さんに聞いた。 【斎藤広子】
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◆自然の不思議子どもに
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ダーウィンが晩年を過ごした家を訪ねたことがある。田舎の静かな環境で暮らす町の名士であり、良き家庭人、良き社会人だった。そんな人が世の中をひっくり返すような「進化論」という危険な爆弾を抱えてしまう。真実を知りたいという欲求と、平穏に暮らす人の意識を覆してしまうという矛盾に苦しむ姿は、まさに人間ドラマです。進化論から理解するのは難しいが、人物の面白さは際だっていますよ。
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ダーウィンの「種の起源」が出た後、学者は研究機関に所属し、ひたすら成果を求められる専門職になった。「プロ」に対して、ダーウィンまではまだ愛する学問を追究する「アマチュア」だ。アマチュアというと日本では「素人」だが、イタリア語「アモーレ」などに由来する。つまり「愛する」から派生した言葉だ。ダーウィンは、世界を揺るがした最後のアマチュア研究家だった。
現代はあまりにお金や恋愛の誘惑が多い。ダーウィンの冒険や生涯を知ることで、自然の不思議さに魅了される子どもが増えてほしい。私たちは地球温暖化など環境悪化に直面している。自分の手で自然に触れた子どもは、生き物の営みのすごさに感動するでしょう。そんな彼らこそ、地球の危機に深い洞察を持って対処してくれるはずですから。
荒俣宏(あらまた・ひろし)さん1947年東京生まれ、慶応大卒。「帝都物語」で日本SF大賞などを受賞。
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◆「変異は運次第」木村博士が中立説
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ダーウィンに異論を唱えた日本人研究者がいる。ミクロの世界では「運の強いものが生き残る」と提唱した国立遺伝学研究所の木村資生(もとお)博士(1924~94)だ。木村博士は、ヘモグロビンをつくるアミノ酸が突然変異をする速度を調べた結果から、「遺伝子レベルでは、大部分は生存競争に有利でも不利でもない中立的な突然変異だ。どの変異が種全体に広まるかは運次第」と主張し、68年に英科学誌ネイチャーに発表した。
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「中立説」と呼ばれた学説は当時の欧米の科学界から猛烈な反発を受けた。だが、中立説を裏付ける証拠が見つかり、自然選択とともに主要な進化論となった。木村博士は92年に日本人で初めて「ダーウィン・メダル」を受賞した。
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