ベトナムにもペルシャ湾にも出撃!



  
 立ち泳ぎをしながら愛嬌を振りまくイルカ。よく見ると首筋にひものようなものが食い込んだ跡がある。これは、アメリカ海軍に調教され、首に特殊兵器を装着されていた跡であるという。1960年代のベトナム戦争のころから兵器イルカの開発競争は、米ソ間で行われていた。


 冷戦終結後は研究は続けられているものの、両国海軍ともにその飼育数を減らしはじめ、あるものはサーカスや水族館へ引き取られ、あるものは施設で海に帰るための訓練を受けている。

首に残った跡がいたいたしい


「ベトナム戦争にイルカが従軍していた」

 この聞きなれない話の内容に、ぼくは愕然としてしまった。これがリック・オバリーと出会うきっかけとなった。

 4年ほど前、ぼくはかれが主催するイルカのリハビリ施設があるフロリダ、キーウェストを訪れた。彼との付き合いはそれ以来だ。

 そこでは、海軍から譲り受けリハビリ中の3頭のオスのイルカ、バック15才、ジェイク18才、ルーサー12才がいた。施設は兵器イルカだけではなく、倒産した水族館からもをひきとっていた。

リック・オリバー氏はあの「フリッパー」の元調教師
 60年代に世界中でヒットしたイルカが主役のテレビシリーズ、『わんぱくフリッパー』をおぼえている人もいるだろう。当時は正義の味方『フリッパー』に感動した人も多かったはずである。リック・オリバーはイルカ・トレーナーのボスとして『わんぱくフリッパー』の制作に参加していた。

 リックは当時、責任者の一人として、番組制作のために演技させられ劣悪環境の下で死んでいったイルカたちを舞台裏で見てきた。その後、彼はその職を辞し、そこでの経験を基に、今では世界中に飼われているイルカを自然の海に帰す運動に情熱を注いでいる。

「どのイルカも長い間の飼育のせいで、精神的にも肉体的にも病んでいる。この病めるイルカたちを、生まれ故郷である自然の海に帰してやりたい。でも、そのためにはたいへんな努力がいるんだ。考えたことがあるかい?イルカたちは、海で魚をつかまえる本能をまったく失っているんだ」



「死んだ魚だけを与えられてきたイルカに、まずは生きた魚を食べることから教えなくちゃならないんだよ。動く魚を怖がって、まったく餌として受けいれてくれない。ここでは毎日海から捕まえてきた魚を、まず氷水に入れて仮死状態にするんだ。そうしてイルカの口に渡して、徐々に警戒心を解いてやるんだ」
とリックはリハビリの困難さをぼくに訴える。
 

 目の前の海岸に柵をしただけのいけすで、イルカが水面から顔を出して、こちらに向けて首をひたすら振っていた。リックはイルカを指差して、

「ジェイクとバックは生きた餌にもだいぶ慣れてきたんだけど、ルーサーはまったく興味を示してくれないんだ。海軍で何かひどいめにあったのかもしれないな」
と付け加えた。
 
 リック・オバリーは余り知られていなかった米国やソ連に軍事目的で飼われているイルカの存在を世界に伝え、その廃絶を長い間世界に訴えかけてきた。ブラジルの水族館から譲り受けたイルカも含め、今までに12頭のイルカを海に帰した。だが、軍事イルカではまだ成功にいたっていない。
 
オバリー氏についてまわるルーサー
 海よりも近所の子どもたちと遊ぶほうが楽しい
ルーサーとパック
 96年5月、ルーサーとバックの2頭はリックによって海に放された。しかし、数週間後に2頭はなぜか海軍によって捕獲され、また基地に戻されてしまった。海軍は「捕獲はイルカの健康上の理由」とコメントした。リックはそれに対して「イルカ回収はナンセンスだ。(私的機関によるリハビリの成功が不愉快な人たちの)政治的な茶番劇にすぎない」
と語った。
 
 こうして原稿を書いているうちにも、Eメールでリックからの近況が届いた。そこには季節の挨拶とイルカに対する熱い胸の内が記されていた。今年もイルカを自然に帰す計画を進めているらしい。

オリバー氏が活動に使っているキャンペーン・バス

「兵器イルカ」が初めて登場するのは、60年代にさかのぼる。米国海軍と旧ソ連軍は競うようにしてイルカの飼育を始めた。初めはイルカの形状や水中での能力研究に時間が費やされていたが、徐々にイルカの軍事訓練へと研究が進んでいった。訓練は水中での沈船や機雷をイルカに捜させたり、ダイバーに荷物を届けたり、艦船や潜水艦の護衛などが行われた。ちなみに、ロシアでは爆発物を背負った “カミカゼ・イルカ” が特攻訓練も受けていた。

 ベトナム戦争の時代に、米国海軍は5頭のイルカをカムラン湾へ送った。イルカたちは湾内に停泊する軍艦の護衛任務にたずさわり、水中から進入してくる敵を追い払ったとされている。水中からの敵を殺したとする噂も、いまだに残っている。86年から88年にかけて、6頭のイルカが同じような目的でペルシャ湾にも派遣された。ここではタンカーの護衛も務め、従軍中に病気に侵され死亡したイルカもいたという。

 
 
 

 最盛期には米国海軍は130頭以上ものイルカを所有していたが、冷戦の終結とともにイルカの軍事的意味合いが薄れていき、兵器イルカは無用の長物となっていった。だが、“退役”イルカは海に戻ることもできず、米国海軍のイルカはほとんどがいまだに軍事施設で余生を送っている。また、旧ソ連の兵器イルカは連邦の崩壊によって、ウクライナに所属が移った。おりしも財政のひっ迫は「兵器イルカ」にもおよび、ウクライナではイルカを民間利用に転換しようと試みている。たとえば、イルカとの接触を精神病患者の治療に役立てたり、海底に投棄された廃棄物の回収任務にあたったりである。しかし、けっしてイルカの生活状況が改善された訳ではない。

 
旧ソ連鯛では機雷を装着し敵に体当たりをさせる
研究も行われていた
 野生のイルカは55年以上も生き続けるのに、飼育下では最初の3ヶ月以内に半分が死んでしまうという。さらに、野生のイルカはアクロバットのような芸をほとんどしない。だが飼育下では、餌がほしいがゆえにそうせざるを得ない。

「海洋公園や水族館でのイルカなどを見世物とする『海の生き物とのふれあい』という教育は、実際には大人や子供たちに『海洋動物の搾取は許される』ということを教え込んでいるに過ぎない」
 と主張するリックに、ぼくは返す言葉もみつからなかった。


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